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波止場

今日も明日も明後日も

一週間後も一ヶ月後も一年後も

10年経っても20年経っても


生まれてから死ぬその日まで

僕は僕以外になることなく

僕という存在のまま生きていく


世界は僕という存在を介して

かろうじて存在しているにすぎない


僕が土に還る時

僕が見たり聞いたり感じたりしたことすべては

消えてしまう運命にある


あの日見た夕焼け

あの時聞いた歌声

あの人への想い


美しかったものすべては

どこへ行ってしまうのだろう

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親父とお袋の唾液

人間の目から見る限り、精子も卵子もどちらもただの体液にしか見えない。

つまり、ツバと同じようなもんだってことだ。

ということは、俺という身長175cm、体重73Kgの肉の存在は

親父とお袋のツバからどういわけかして出来た上がったわけだ。


これってスンゲェ不思議。

だってただのツバだよ。

あんなツバがこんな俺に育つってどういう仕組なワケ?


俺と彼女の唾液を交ぜてベランダに置いておいたら

10ヶ月後には人間ができているかもしれない。


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死んだ瞬間には死んでいるから死を認識できない。つまり……。

僕は、人って死なないと思っている。


「あ、俺、死ぬかも」「やばいやばい、俺死にかけている」は分かる。

それは死ではなく、死に向かっている状態でしかないから。

けれども、「俺、死んだ」「いま死んでいる」は分からない。

なぜなら、すでに死んでいるから。


死んだ瞬間と死んでいる状態っていうのを死んだ本人は絶対認識できない。

ということはそれは死なないということと一緒じゃないだろうか。


死と似た状態に睡眠がある。

人は、眠った瞬間、眠っている状態、どちらも認識することはできない。

眠っている状態から覚めることによって初めて自分が眠っていたことを認識する。


いっぽう、死の場合は、死んだ状態から生きている状態には戻ることはない。(戻れるならそれはまだ死んでない)

睡眠のように自分が死んでいた状態を遡って認識することはできない。


もちろん、周囲の人間は、彼、彼女が死んだ瞬間、死んでいる状態を認識できる。

しかし、本人だけはいつまで経っても自分の死を認識できない。

なぜならすでに死んでいるから。


死んだことが分からないのなら、本人にとっては死は永遠に訪れない。


死、恐るるに足らず。


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隆泰院妙寿日綾大姉

5月のGWに一周忌法要を行ったもんだから、すっかり1年が経ったもんだと思っていた。法事は親戚が集まりやすいように前倒しでやっていたんだった。

いま6月のカレンダーを見ながら、6月も終わるなぁなんてことを思いながら、ふと祖母が無くなったのが去年の6月だったことを思い出した。

Googleカレンダーで去年の予定を見たら通夜が9日、葬式10日とあった。それからいろいろと過去の予定を整理して祖母が無くなったのは8日の日だったことがわかった。

一緒に暮らしていた祖母。「●●ちゃん、●●ちゃん」と呼んで、あんなに僕のことをかわいがってくれていた祖母。なのに僕は命日すら覚えていない始末。おまけに一周忌の命日からすでに2週間以上経っていることに今さらながら気づく体たらく。

こうやってここに書くことすら情けないけど、懺悔の意味も込めてここに書かずにおれなかった。本当に罰当たりな孫だと思う。

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自己紹介です


34歳男子。ネザーランドドワーフと34歳女子と3人で同棲中。好きなモノは、タイ料理、カキピー(わさび味)、海外SF、ゾンビ映画、村上春樹、野宿、スパイ、自分。ブログは半径100メートル以内の出来事を忘れないようにメモっています。新卒で入ったB2B系広告会社の営業を皮切りに、Webライター、マーケッター見習い、Web広告屋、CRMマーケッターを経て、現在はダイレクトマーケティング・コンサルタントという肩書きのもと、とある通販コスメのECサイトを成功報酬モデルでプロデュース中。未知のビジネス課題をクライアントと一緒になって解決するお仕事が多いです。裏日本の豪雪、酷暑地帯出身。手先器用、口先不器用。新大阪在住。

好きな言葉です

・チャンスは不可能の顔をして通り過ぎる
・The world is mine.
・好奇心